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Coldoba  コルドバ

古代ローマ時代には、属州ヒスパーニア・バエティカの首都であった。現在でもローマ寺院やローマ橋などの遺跡が遺されている。のちに西ゴート王国に支配され、6世紀には東ローマ帝国の領土となったこともある。

711年、イスラム教徒に西ゴート王国が征服された(グアダレーテの戦い)。756年に成立した後ウマイヤ朝はコルドバを首都とし、その中心はモスク(メスキータ)であった。10世紀にアブド・アッラフマーン3世ハカム2世の治世下で繁栄をとげ、大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。トレドと並んで西方イスラーム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となった。

キリスト教勢力によるレコンキスタの進展により、1236年6月29日、カスティーリャ王国フェルナンド3世に征服された。15世紀末、レコンキスタが完了するとイスラム勢力がイベリア半島から追われ、メスキータにはカトリック教会部分が増築された。 wikipedia

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メスキータ(mezquita)

スペイン語モスクを意味し、アラビア語 مسجد ("Masjid") に由来する

785年、イスラム教のモスクとしてアブド・アッラフマーン1世時代に建設された。その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。かつてイスラム教徒が庭の池で身を浄めたオレンジの中庭や、アーチ上部の赤と白の縞模様がモスクの面影を感じさせるマヨール礼拝堂など、見所は数多い。もともとこの地には西ゴート王国時代に建設されたカトリックの聖ビセンテ教会が存在していた(現在ではメスキータ内部に一部その遺構が公開されている)。その後、イスラム勢力が北アフリカからイベリア半島に侵入し後ウマイヤ朝を建国すると、この聖ビセンテ教会はイスラム教のモスクとしても使用されるようになった。さらに8世紀末にはイスラム教徒がキリスト教徒から聖ビセンテ教会を完全に買い取り、新たにモスクの建造を開始した。この時に建造されたモスクは、現在でも聖マリア大聖堂の一部として使用されている。

コルドバのモスクは10世紀末に拡張工事が行われ、数万人を収容することが出来る巨大モスクが完成した。しかし13世紀レコンキスタによってカスティーリャ王国がコルドバを再征服すると、コルドバの巨大モスクはカトリックの教会堂に転用される。

最終的には16世紀、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)の治世にモスク中央部にゴシック様式ルネサンス様式の折衷の教会堂が建設され、現在のような唯一無二の不思議な建築物として成立を見た。現在、この聖マリア大聖堂は世界遺産に登録されている。 wikipedia

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Calleja de los flores 花の小径

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