航空母艦
太平洋戦争以前、海軍主力は戦艦であったが、真珠湾攻撃以来、日米ともに制空権なくして勝利はなく、飛行機を搭載した航空母艦が主力艦となり、 艦艇に突入する特攻の主たる目標は航空母艦となった。
「一機一艦撃沈」と日本軍では言われることになったが、特攻を開始した時には、撃沈は困難であるとの認識があり、航空母艦の飛行甲板が一ヶ月でも使用できなくなれば、その間に戦況を挽回するという考えだった。しかし、最初の特攻で空母セント・ローを一発の爆弾と一機の特攻で撃沈してしまったので、「一機一艦撃沈」することとなってしまった。しかし、セント・ロー以外に撃沈された航空母艦はオマニーベイとビスマルクシーのみだった。(オマニーベイの最後は米駆逐艦の魚雷で沈められた)
とは言え制空権・制海権を掌握し、多数の飛行機と乗組員を搭載した航空母艦が特攻隊の突入目標とすることに変わりなく、特攻機が突入した数は駆逐艦が多いものの、大きな戦果を挙げたのは航空母艦に対してであった。米軍は航空母艦を守るためにレーダーを装備した多数の駆逐艦を前方に配置し、レーダーピケと呼ばれる防御網を張った。空母に搭載する飛行機の中で迎撃機の比率を高くし、日本軍機が接近するのを事前につかみ、友軍機を発進させて、上空で待ち伏せした。これに撃ち落とされる日本軍機も多く、また空母に到達する前に駆逐艦に突入せざるを得ない特攻機が多数あった。
特攻による損傷・沈没艦(連合軍側の記録)要再確認
戦艦 11 隻 215 693
空母 29 2158 2992
駆逐艦 169
巡洋艦 19
その他 149
合計 407(この内沈没したのは51隻)
1隻で何度も特攻に耐え、戦後まで残った空母もある。
比島沖海戦中、サマール沖海戦直後、レイテ湾を守る米護衛空母群に突入。
1944年10月25日 第一神風特攻隊
護衛空母カリニン・ベイKalinin Bay(CVE-68) 5 / 55 戦死・行方不明/負傷
護衛空母キトカン・ベイKitkun Bay(CVE-71) 18 / 56
護衛空母サンティー Santee (CVE-29) 16 / 27
護衛空母スワニー 1回目Suwannee (CVE-27) 71 / 82
護衛空母セント・ロー ST.Lo (CVE-63) 1052 第一神風特攻隊突入
沈没 戦死143/負傷370
護衛空母ホワイト・プレインズWhite Plains (CVE-66) 0 / 11
1944年10月26日
護衛空母スワニー 2回目Suwannee (CVE-27) 第一神風特攻隊敷島隊突入
100 / 170
1944年 10月29日
正規空母イントレピツド 1回目 Intrepid (CV-11) 12 / 6
日本の特攻記録にない天山が突入となっている
1944年10月30日
軽空母軽ベロー・ウッド Belleau Wood (CVL-24) 92 / 54
正規空母フランクリン 2回目 Franklin (CV-13) 56 / 60
1944年11月5日
正規空母レキシントン Lexington (CV-16) 50 / 132
1944年11月25日
軽空母キャボット Cabot (CVL-28) 36 / 16
正規空母エセックス Essex (CV-9) 15 / 44
正規空母イントレピツド 2回目2機 Intrepid CV-11 69 / 34
これらの空母は10月24日栗田艦隊を攻撃し、その後、北上して、小澤艦隊にむかった
第3艦隊(司令官:ウイリアム・ハルゼー大将)第38任務部隊Task Force 38(司令官:マーク・A・ミッチャー中将)の第2,3,4群の空母。米陸軍はレイテ島制圧のため日本軍と戦闘中。
第2群(TASK GROUP 38.2)
· 司令官:ジェラルド・F・ボーガン少将、旗艦:空母イントレピッド
o (空母 バンカー・ヒル)
o 軽空母 インディペンデンス、カボット
o 戦艦 ニュージャージー(ハルゼー大将座乗)、アイオワ
o 軽巡洋艦3、駆逐艦18
第3群(TASK GROUP 38.3)
· 司令官:フレデリック・C・シャーマン少将、旗艦:空母エセックス
o 空母 レキシントン(ミッチャー中将座乗)
o 軽空母 プリンストン、ラングレー
o 戦艦 マサチューセッツ、 サウスダコタ
o 軽巡洋艦4、駆逐艦14
第4群(TASK GROUP 38.4)
· 司令官:ラルフ・E・デヴィソン少将、旗艦:空母フランクリン
o エンタープライズ
o 軽空母 ベロー・ウッド、サン・ジャシント
o 戦艦 ワシントン(司令官:ウィリス・A・リー中将)、アラバマ
o 巡洋艦2、駆逐艦11
10月20日米軍レイテ島上陸(日本は2千機近くを投入するも、多くを失う)
24日シブヤン海の戦い 武蔵沈没
25日サマール沖の戦い 栗田艦隊 レイテ湾に突入せず反転
12月15日米軍ミンドロ島上陸
12月17日コブラ台風ルソン島東480㎞の第38任務部隊が直撃、駆逐艦3隻沈没790名死亡
1月9日米軍ルソン島上陸
3月3日米軍マニラ制圧
日本軍は山中に潜み、飢餓と戦いながら終戦まで潜む
日本軍約53万人ちゅう約43万人が戦死・戦病死でその内餓死が多い
航空母艦エセックス
10月24・25日 比島沖海戦 戦艦武蔵撃沈に参加
11月25日、第四神風特別攻撃隊香取隊 彗星 爆装500㎏が突入
突入した彗星搭乗員は
山口善則 一飛曹 甲飛11期 佐賀県出身
酒樹正一 一飛曹 甲飛11期 樺太出身
(突入後米軍が回収した遺品から搭乗員判明)
エセックスの 戦死者15名 負傷者44名
香取隊の彗星もう一機は
海兵72期 田辺正中尉
盛岡高工予備学生13期 工藤太郎少尉
太平洋戦争を戦い抜いたエセックスは
朝鮮戦争、ベトナム戦争に参加、アポロ7号のクルー収容も行う。
航空母艦イントレピッド
10月24日 比島沖海戦で戦艦武蔵撃沈に加わる
10月30日 第一回目の特攻機突入 戦死者12名負傷者6名
サンフランシスコへ回航
葉桜隊 1330 セブ基地出撃 零戦 250㎏爆装
甲飛10山沢卓勝一飛曹
丙飛15鈴木鐘一飛長
丙飛16桜森文雄飛長
直掩2機も特攻 戦死
甲飛9新井康平上飛曹
乙飛16大川善雄一飛曹
11月25日 比島東沖 特攻機2機突入 69名戦死 34名負傷
3月18日 3回目の特攻機突入 九州沖 一式陸攻(桜花搭載?)
4月7日 戦艦大和撃沈参加
4月16日 沖縄戦 4回目の特攻機突入 8名戦死 21名負傷
映像を見ると双発攻撃機であるが、この日出撃した双発機の特攻隊は桜花を搭載した第五神風特別攻撃隊桜花隊の一式陸攻か、第六・七銀河隊。
第五神風特別攻撃隊桜花隊 0650-0710 鹿屋基地出撃
一式陸攻 5機 (1機帰還) 4機27名戦死 桜花5機5名戦死
第六銀河隊 1026-1040 宮崎基地出撃 8機24名 爆装800㎏
丙飛16本城勝志二飛曹
徳島師13橋本誠也中尉
甲飛12佐井川正之二飛曹
特丙11鈴木憲司二飛曹
甲飛10出山秀樹上飛曹
丙飛16高橋豊二飛曹
特乙1北島治郎飛長
和歌山師13薬眞寺靖少尉
甲飛12中村行男二飛曹
特乙2西兼登二飛長
乙飛17斎藤三藤一飛曹
乙飛17中西克己一飛曹
甲飛12金内光郎二飛曹
東京農大13大河原誠少尉
甲飛12光石昭通二飛曹
特乙2冨士田冨士弥飛長
丙飛11波多野進一飛曹
甲飛12頼元健次郎二飛曹
特乙2大西月正飛長
丙飛5植垣義友上飛曹
甲飛12藤谷成美二飛曹
丙飛8本山幸一郎一飛曹
甲飛10道又重雄上飛曹
甲飛12久野朝雄二飛曹
第七銀河隊 1040/1730 出水基地出撃 4機12名 爆装800㎏
丙飛16中村広光二飛曹
多根高商13延沢慶太郎少尉
乙飛17岩田渉一飛曹
甲飛12江藤賢助二飛曹
甲飛12榎田重秋二飛曹
甲飛12岡田武教二飛曹
乙飛16中居秀雄上飛曹
中大13小林茂雄中尉
乙飛16臼井甲作上飛曹
特乙1山田正雄飛長
乙飛17宮前俊三一飛曹
特乙1田中仙太郎飛長
11月25日その他の米軍損傷空母
3.ハンコック USS CV-19
高松公美中尉指揮吉野隊1130出撃
4機の零戦特攻をかわしたが、1945年4月7日戦艦大和攻撃中に再度特攻攻撃にあった。
戦死62名負傷73名
4.キャボット USS Cabot CVL28
戦死者36名 負傷16名
二機突入
11月25日出撃の海軍特攻隊(陸軍の出撃はなかった)
第三神風特別攻撃隊第三高徳隊 1025 第一ニコルス基地出撃
零戦爆装250㎏ 2機2名
零戦 直掩 3機
第三神風特別攻撃隊笠置隊 1415 エチアゲ基地出撃
零戦爆装250㎏ 2機2名
零戦 直掩 2機
第三神風特別攻撃隊吉野隊 1130 マバラカット西基地出撃
零戦爆装250㎏ 6機6名
零戦 直掩 2機
上飛曹 河内山精治 甲飛10
飛長 永原茂木 特乙1
中尉 高武公美 西南学院12
上飛曹 長谷川達 甲飛10
上飛曹 池田末広 乙飛13
上飛曹 布田孝一 丙飛10
上飛曹 村松文雄 甲飛10
二飛曹 西尾芳朗 丙飛特14
イントレピッド、ハンコック、エセックスは昼前に攻撃された
第三神風特別攻撃隊香取隊 1130 マバラカット東基地出撃
彗星爆装500㎏ 2機4名
山口、酒樹 一飛曹 エセックスに突入
第五神風特別攻撃隊疾風隊 1143 クラーク基地出撃
銀河爆装800㎏ 2機6名
零戦 直掩 2機
目標ウルシー在泊の空母
第五神風特別攻撃隊強風隊 1230 デゴス基地出撃
銀河爆装800㎏ 3機6名
目標ラモン湾東方の空母
1945年1月21日 台湾南東沖
空母タイコンデロガ Ticonderoga(CV-14) 大破
戦死者143名 負傷者202名
12時すぎに特攻2機命中
この日、タイコンデロガ以外に駆逐艦マドックスdestroyer Maddox (DD-731、戦死者10名・負傷者30名), 軽空母Langley (CVL-27)にも正午過ぎ特攻突入、損傷を与えた。
特攻隊は台湾台南基地から12時前に海軍の特攻隊7機が出撃した。
新高隊 彗星(乗員2名/機)5機 爆装500㎏
西田幸三中尉 海兵72期 高島陸人少尉 宮崎高農13期 宮野健次郎二飛曹 丙飛16
新田四郎二飛曹 甲飛11期 平井孝二少尉 日大13期 杉山喜一郎一飛曹 乙飛17期
山下信博飛長 丙飛17期 沢田光雄一飛曹 乙飛17期 福島昇飛長 丙飛17期
安留亀市一飛曹 甲飛11期
第一航空艦隊零戦隊 零戦2機 爆装250㎏
堀口吉秀少尉 函館高水13期 藤波良信飛長 特乙1期
堀口吉秀(函館高水、三重県)は、館山の州崎海軍航空隊の戦闘三一七飛行隊にいた。
彼は要務飛行のため、一月中旬、台南基地に飛ぶことになったが、沖縄方面には敵艦載機が時々来襲するので針路を変更して上海経由で台南基地についた。そして、要務飛行の責任を果たして、内地に帰るばかりになっていたとき、たまたま敵の機動部隊の動きが活発になってきていたので、司令から、「敵の機動部隊に特攻をかけてくれないか」と懇願されたという。
熱血漢の堀口吉秀は、飛行科予備学生の出身者らしく、「ハイ、やります」と、なんの躊躇することもなく引き受け、飛行長より特攻の要領を聞き、そのまま突っ込んだというのである。
この話を裏づけるように、台南基地から爆戦(零戦に爆装)特攻隊が出撃したのは、前にも後にも、堀口少尉たちの二機だけである。
のちに彼がいた戦闘三一七飛行隊は、神風特別攻撃隊大義隊を編成し、酒井正俊が第一大義隊六機の指揮官として四月一日の午前六時四十五分、伊藤喜代治が第二大義隊七機の指揮官として、四月二日の午前六時四十五分、ともに石垣島基地より出撃している。
普通なら、堀口たちの特攻隊にも、当然なんらかの名称が命名されるはずなのに、あまりにも急であったため、特攻隊の命名式もなく零戦で出撃した模様である。
「海軍飛行科予備学生」より