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齋藤隆夫
1870年9月13日明治3年8月18日〉 - 1949年昭和24年〉10月7日
 

1935年(昭和10年)1月24日、「岡田内閣施政方針演説に対する質問演説」で「陸軍パンフレット」と軍事費偏重を批判。

1936年(昭和11年)5月7日(第69特別帝国議会)、「粛軍演説」(「粛軍に関する質問演説」)

1938年(昭和13年)2月24日(第73帝国議会)、「国家総動員法案に関する質問演説」

1940年(昭和15年)2月2日(第75帝国議会)、「反軍演説」(「支那事変処理中心とした質問演説」)

反軍演説が軍部、及び軍部との連携・親軍部志向に傾斜していた議会内の諸党派勢力(政友会革新派中島派)、社会大衆党時局同志会など)より反発を招き、3月7日に議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員を除名された。しかし開戦2年目の1942年(昭和17年)総選挙では軍部などからの選挙妨害をはねのけ、翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし衆議院議員に返り咲く。

 

映像外部リンク

 戦後斎藤の選挙演説(7:00から)

https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001310011_00000&seg_number=003

第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)11月、日本進歩党の創立に発起人として参画、翌年の公職追放令によって進歩党274人のうち260人が公職追放される中、斎藤は追放を免れ総務委員として党を代表する立場となり翌1946年(昭和21年)に第1次吉田内閣国務大臣(就任当時無任所大臣、後に初代行政調査部総裁)として初入閣する。

1947年(昭和22年)3月には民主党の創立に参加、同年6月に再び片山内閣の行政調査部総裁として入閣、民主党の政権への策動に反発し1948年(昭和23年)3月に一部同志とともに離党。日本自由党と合体して民主自由党の創立に参加、翌年心臓病肋膜炎を併発し、東大物療内科で死去。享年79。

ウィキペディア

「粛軍に関する質問演説」
https://blechmusik.xii.jp/d/saito/s13/#id06
目次 1. はじめに 2. 演説全文 2.1. 一大革新の国家的要求 2.2. 政治革新論の検討 2.3. 制度よりは人の問題 2.4. 実際政治改革の経論如何 2.5. 不動の国策を樹立せよ 2.6. 軍人の政治関与は不可 2.7. 純真なれど単純なる思想 2.8. 事件と軍部当局の処置 2.9. 青年将校の背後を衝く 2.10. 立憲君主制こそ国民の進むべき道 2.11. 軍首脳部の指導方針 2.12. 二・二六事件に対する国民的感情

下記は「2.6. 軍人の政治関与は不可」より

満洲事件は国の内外に亘って非常な影響を及ばして居ることは、今更申す迄もないことでありまするが、其中に置きまして、青年軍人の思想上に於きましても或変化を与えたものと見えまして、其後軍部の一角、殊に青年軍人の一部に於きましては、国家改造論の如きものが台頭致しまして、現役軍人でありながら、政治を論じ政治運動に加わる者が出て来たことは、争うことのできない事実である。

此傾向に対して是まで軍部当局はどう云う態度を取って居られるのであるか、之を私は聴かんと欲するのであります。 申す迄もなく軍人の政治運動は上御一人の聖旨に反し、国憲、国法の厳禁する所であります。 彼の有名なる明治十五年一月四日、明治大帝が軍人に賜りました所の御勅諭を拝しましても、軍人たる者は世論に惑わず、政治に拘らず只々一途に己が本分たる忠節を守れと仰出だされて居る。 聖旨のある所は一見明瞭、何等の疑を容るべき余地はないのであります。

或は帝国憲法の起草者でありまする所の故伊藤公は、其憲法義解に於てどう云うことを載せて居られるかと云うと

 

「軍人は軍旗の下に在て軍法軍令を恪守し専ら服従を以て第一義務とす故に本章に掲くる権利の条規にして軍法軍令と相抵触する者は軍人に通行せず、即チ現役軍人は集会結社して軍制又は政治を論ずることを得ず。 政事上の言論著述印行及請願の自由を有せざるの類是なり」

又陸軍刑法、海軍刑法に於きましても、軍人の政治運動は絶対に之を禁じて、犯したる者に付ては三年以下の禁錮を以て臨んで居る。 又衆議院議員の選挙法、貴族院多額納税議員互選規則を見ましても、現役軍人に対しては、大切なる所の選挙権も被選挙権も与えて居らないのであります。

斯の如く軍人の政治運動は上は聖旨に背き国憲国法が之を厳禁し、両院議員の選挙被選挙権までも之を与えて居らない、是は何故であるかと言へば、詰り陸海軍は国防の為に設けられたるものでありまして、軍人は常に陛下の統帥権に服従し、国家一朝事有るの秋に当っては、身命を賭して戦争に従わねばならぬ、それ故に軍人の教育訓練は専ら此方面に集中せられて、政治・外交、財政、経済等の如きは寧ろ軍人の知識経験の外にあるのであります。 加之若し軍人が政治運動に加わることを許すと云うことになりますると云うと、政争の末遂には武力に愬えて自己の主張を貫徹するに至るのは自然の勢でありまして、事茲に至れば立憲政治の破滅は言うに及ばず、国家動乱、武人専制の端を開くものでありますからして、軍人の政治運動は断じて厳禁せねばならぬのであります

反軍演説
http://web.tohoku.ac.jp/modern-japan/wp-content/uploads/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%9A%86%E5%A4%AB%E3%81%AE%E6%BC%94%E8%AA%AC-1940%E5%B9%B4%EF%BC%92%E6%9C%88.pdf

前略
近衛声明の中にはどういうことが含まれているかと見 ますると、大体五つの事柄が示されているのであります。  その一つは支那の独立主権を尊重するということである。  第二は領土を要求しない、償金を要求しないということである。  第三は経済関係については、日本は経済上の独占をやらないということである。  第四は支那における第三国の権益については、これを制限せよというごときことを支那政府には 要求しない。  第五は防共地域であるところの内蒙付近を取り除くその他の地域より、日本軍を撤兵するという ことであります。この五つが近衛声明に含まれているところの要項である。  しかしてこの声明はただ日本のみに対する声明でなければ、また支那のみに対する声明でもな い、実に全世界に対するところの声明でありまするから、如何なることがあってもこれを変更す ることが出来るものではない。絶対にこれは変更を許さないのである。もしかりそめにもこれを 変更するがごときことがありますならば、我国の国際的信用は全く地に墜ちてしまうのでありま す。ただそればかりではない。ご承知のごとくかの汪兆銘氏、同氏はこの近衛声明に呼応して立 ち上ったのである。  即ちこの近衛声明を本として、和平救国の旗を押し立てて、新政権の樹立に向って進んで来て いるのである。その後同氏はしばしば声明書を発表しておりまするが、その声明書を見まする と、徹頭徹尾近衛声明を文字通り額面通りに解釈をしているのである。即ち同氏がしばしば発表 しましたところの声明書、その声明書に現われているところの文句を、そのまま取って来て総合 しますると、こういうことになるのであります。  「近衛声明のごとくてあったならば支那にとっては別に不和益はない。日本はこの声明によっ て全く侵略主義を伾棄したのである。日本はこれまで侵略主義をとっておったが、近衛声明に よって侵略主義を伾棄したのであるというている。日本が侵略主義を伾棄したということは、即 ち軍事上においては征服を図らず、経済においては独占を考えないということである。かくのごと く日本が戦争中において反省したる以上は、中国もまた深く自ら反省するところがあって、一日 も速やかに和平を実現せねばならぬ、しかしてかくのごとき和平は絶対、に対等の立場において 結ばねばならぬ。戦勝者がもつ敗者に対する態度は一切拗棄すべきである。したがって和平条件 は決して支那国家の独立自由を害するものではないから、何人といえども和平の実現を拒むこと は出来ない」 
中略
支那事変処理の範囲と内容は如何なる ものであるか。重ねて申しまするが、支那の独立主権は完全に尊重する。支那の独立主権を完全 に尊重する以上は、将来支那の内外政治に向ってはかりそめにも干渉がましきことは出来ない。 もし干渉がましきことをなしたならば、支那の独立主権はたちどころに侵害せられるのである。 領土は取らない、償金はとらない。支那事変のためにどれだけ日本の国費を費やしたかというこ とは私はよく分りませぬ。しかしながらただ軍費として我々がこの議会において協賛を致しまし たものだけでも、今年度までに約百二十億円、来年度の軍費を合算致しますると約百七十億円、 これから先どれだけの額に上るかは分らない。二百億になるか三百億になるか、それ以上になる か一切分らない。それらの軍費については一厘一毛といえども支那から取ることは出来ない。こ とごとく日本国民の負担となる。日本国民の将来を苦しめるに相違ない。  また経済開発については、決して日本のみが独占をしない。支那の経済開発ということが叫ば れておりまするが、これも日本だけが独占をすべきものではない。第三国権益を制限するがごと きことは支那政府に向っては要求しない。これまで我国の政治家は国民の前に何と叫んでおった か。このたびの支那事変は、支那より欧米列国の勢力を駆逐する、欧米列国の植民地状態、第三 国から搾取せられているところの支那を解放して、これを支那人の手に戻すのであると叫んでおっ たのでありますが、これは近衛声明とは全然矛盾するところの一場の空言であったということに 相成るのであります
中略
近衛声明において特別重要なる 点は日本軍の支那からの撤兵である。そうしてその撤兵は全部が急速にかつあらゆる方面におい て一斉に行われねばならぬということである。即ち撤兵は、全部が急速に、あらゆる方面におい て、一斉に行われねばならぬということである。ただ提案せられたるところの日支防共協定の存 続期間に限って、日本軍の駐屯すべき所謂特定地区はただ内蒙の付近のみに制限せられなければ ならない。  かように汪兆銘氏は声明しておりまするが、これを近衛声明と対照しますると、少しも間違い はないのであります。しかる以上はこれより新政権を一欲に和平工作をなすに当りましては、支 那の占領区域から日本軍を撤退する、北支の一角、内蒙付近を取り除きたるその他の全占領地域 より日本軍全部を撤退する、過去二年有半の長きに亘って内には全国民の後援のもとに、外にお いては我が皇軍が悪戦苦闘して進軍しましたところのこの占領地域より日本軍全部を撤退すると いうことである。  これが近衛声明の趣旨でありますが、政府はこの趣旨をそのまま実行するつもりであります か。これを私は聴きたいのであります。
中略
ヨーロッパにおける新秩序の建設というものは、つまり持たざる国が持てる国に 向って領土の分割を要求する、即ち一種の国際的共産主義のごときものでありますが、その後の 実情を見ますると全然反対である。即ちずいぶん持てるところの大国が持たざるところの小弱国 を圧迫する、迫害する、併呑する、一種の弱肉強食である。ここに至ってヨーロッパにおける新 秩序建設の意味は全く支離滅裂、実に乱暴極まるものであります。
中略
一体近頃になって東亜新秩序建設の原理原則とか精神的基礎と か称するものを、特に委員会までも設けて研究しなくてはならぬということは一体どういうこと であるか、東亜新秩序建設はこの大戦争、この大犠牲の目的であるのであります。しかるにこの 犠牲、この戦争の目的であるところの東亜新秩序建設が、事変以来約一年半の後において初めて 現われ、さらに一年の後において特に委員会までも設けてその原理、原則、精神的基礎を研究し なくてはならぬということは、私どもにおいてはどうも受け取れないのであります。(拍手)
中略
この縮小せられたる世界において、数多の民族、数多の国家か対立している。そのうえ人口は増 加する。生存競争はいよいよ激しくなって来る。民族と民族との間、国家と国家との間に競争が 起こらざるを得ない。しかして国家間の争いの最後のものが戦争でありまする以上は、この世界 において国家が対立しておりまする以上は、戦争の絶ゆる時はない。平和論や平和運動がいつし か雲散霧消するのはこれはやむを得ない次第であります。   もしこれを疑われるのでありますならば、最近五十年間における東洋の歴史を見ましょう。先 ほど申し上げました通りに、我国はかつて支那と戦った。その戦いにおいても東洋永遠の平和が 唱えられたのである。次にロシアと戦った。その時にも東洋永遠の平和が唱えられたのである。 また平和を目的として戦後の条約も締結せられたのでありまするが、平和が得られましたか。得 られないではないか、平和が得られないからして今回の日支事変も起こって来たのである。
中略
国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもな い。徹頭徹尾力の競争である。(拍手)世にそうでないと言う者があるならばそれは偽りであり ます、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を 掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。曰く生存競争である。優勝劣敗である。適者生 存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれ である。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。(拍手)
中略
かの近衛声明なるものが、果して事変を処理するについて最善を尽したるも のであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるこの事変を処理するに適当なるものであるかな いか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安 全を保持するについて適当なるものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。 (拍手)   いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろうと思う。それ故 に近衛声明をもって確乎不動の方針なりと声明し、これをもって事変処理に向わんとする現在の 政府は、私が以上述べたる論旨に対し逐一説明を加えて、もって国民の疑惑を一掃する責任があ るのであります。(拍手) 
中略
最後に支那全体を対象として、今後の形勢について政府の意見を聴いておきたいことがある。
申すまでもなく支那は非常な大国であります。その面積におきましても日本全土の十五倍に上っ
ている、五億に近い人口を有している。我国の占領地域が日本全土の二倍半であるとするなら
ば、まだ十二倍半の領土が支那に残されているのであります。この広大なるところの領土に加う
るに、これに相当するところの人口をもってして、これを統轄するところの力を有する者でなけ
れば、支那の将来を担って立つことは出来ない。近く現われんとするところの新政府はこれだけ
の力があるのであるか。私ども如何に贔屓目に見ましても、この新政府にこれだけの力があると
はどうも思えないのであります。 

 そうするとどうなるのでありますか。もし蒋介石を撃滅することが出来ないとするならば、こ
れはもはや問題でない。よしこれを撃滅することが出来たとしても、その後はどうなる。新政府
中略
例えば国民精神総動員なるものがあります、この国費多端の際に当って、ずいぶん巨額の費用 を投じているのでありまするが、一体これは何をなしているのであるかは私どもには分らない。 (拍手)   この大事変を前に控えておりながら、この事変の目的はどこにあるかということすらまだ普く 国民の問には徹底しておらないようである。([ヒヤヒヤ』拍手)聞くところによれば、いつぞ やある有名な老政治家か、演説会場において聴衆に向って今度の戦争の目的は分らない、何のた めに戦争をしているのであるか自分には分らない、諸君は分っているか、分っているならば聴か してくれと言うたところが、満場の聴衆一人として答える者がなかったというのである。(笑声)
中略
事変以来我が国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披
瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥漫しておりますところのかの官
僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する。
後略

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